6. ダメな自分を追いつめない為の、3つの日常テーマ

公開日:  最終更新日:2020/02/07


人間は、みんな未熟な部分があります。

自分嫌いの人は、物事に失敗すると自分の未熟さを嫌悪しますが、
よく周りを見渡してみれば、魅力的な人にも未熟さが残っていることに気付くはずです。

完璧を求めて、それが叶う分野であれば努力した方がいいかもしれません。
でも「人間性の素晴らしさ」や「人格者」を目指す場合、



完璧じゃない方が、人に愛される。


人間は完璧な人格にはなれないし、ならなくて良い。



という事実に気付けば、自分の未熟さを嫌悪する必要はなくなるはずです。

自動車のハンドルに「遊び」があるように、
自分の人格にも、ほど良い腹黒さ、性格の悪さ、未熟さを残しておくと、
自分も楽に生きられるし、他人にも窮屈な雰囲気を与えずに済み、
結果的にお互いの為になるのだと、私は思います。


そもそも何故、貴女は「ダメな自分を追い詰める思考癖」ができあがったのでしょうか。

私の場合は、幼い頃にイジメに遭い、それに耐えられなくなって大人に相談したとき、
「イジメられる貴女にも原因がある」と言われたことが、決定的なトラウマになりました。

そっか・・・私は何も意地悪をしていなくても、そこにいるだけで人をイライラさせるんだ。
イジメられるのは、私に原因があるんだ。私が悪いんだ。

私の性格をそのまま世の中に表現すると、ただでさえ「人よりダメな人間性」なのだから、
人付き合いなんて、とても無理なんだ。

私の存在で、人に迷惑をかけてはいけないんだ。

人に不快感を与えてはいけない。誰に対しても優しくなくてはいけない。
そうやって必死に頑張ってやっと、「人並みの付き合い」まで辿り着けるんだ。

・・・幼い私はそう解釈し、その後の人生は苦悩の連続となりました。


人付き合いがうまく行かなくなったとき、たいてい、両者に原因があります。
お互いの甘えだったり、依存だったり、慣れだったり、気質の違いだったり。

そういう場面で立ち止まる度、私の視点は「自分に原因がある」という1点のみなので、
自分の未熟さだけに目が行く訳です。

すると当然、私にも非があるので(やっぱり、私が悪いんだ・・・)と結論づけます。
そこで自己嫌悪して、物事の解釈が完了してしまうのです。

そうしながら、いつも思っていました。

(じゃあ、いつ、私の負の感情や、抗議したい気持ちを表現すればいいのだろう・・・?)と。


例えば、明らかな八つ当たりをされたとしても、私の解釈は「私が悪い」で終わるから、
私の中にある(八つ当たりは止めて欲しい)という悲しみや訴えは
呑みこむ以外になくなる訳です。

たぶん、30歳くらいまで、そういう葛藤があったと思います。
葛藤がありつつも未熟なので、耐えきれず負の感情を爆発させ、
人とトラブルになり、縁が切れる。
するとまた、そんな感情的な自分を嫌悪する・・・負のスパイラルでした。

大人になって感情が爆発するとき、「幼い頃にイジメられた悔しさや怒り」も
その時の感情に無意識に乗せて、必要以上に怒り狂ってたような気がします。

負の感情が爆発するキッカケを掴んだら、目の前の人を必要以上に追い詰め、怒りをぶつける。
相手はビックリするし、傷も深くなる。私から離れていく。

私としては、気遣いと我慢を重ね、耐えかねて感情を吐露すると付き合いがダメになるので、
(やっぱり私は、私だけは負の感情を吐露しちゃいけなんだ。許されないんだ・・・)と確信する。

そういう思考回路にも嫌気が差すと、今度は自暴自棄が始まりました。

もう、いい。もう疲れた。どうでもいい。何でもいい。どう思われてもいい。
いつも人に攻撃的で、いつでも反撃態勢で「攻撃は最大の防御」と言わんばかりの鼻息の荒さ。

誰にも心を許さず、信用せず(もう、負けっぱなし、やられっぱなしはイヤだ!
どいつもこいつも、私の気持ちなんて全然、分かってくれない。
殺伐とした世の中に対抗するには、先制攻撃しかない。
攻撃は、自分が傷付けられない為に必要なことだ!)と感じていました。

例えるなら、弱くてオドオドしていた室内犬が野生化して
見るものすべてを威嚇している感じです。

しかし、そういう心境の中でも、性格の良い人に出会う訳です。
そしてその人は、私が心を閉ざしていても「何故、閉ざしているのか」を察知し、
批判もせず、嫌悪もせず、穏やかな笑顔で黙って寄り添うような一面を見せる訳です。

まさにそれは、動物愛護団体のような、「ムツゴロウさん」のような。
ひねくれた不良少女に根気よく向き合う、誠実で愛のある教師のようです。

そこで私は気付きます。
(・・・あれ?・・・こんなに性格が悪い私にも、友達ができるんだ・・・)と。


私はずっと(自分の素を見せたら誰も付き合ってくれなくなる。だから素では生きられない)と
思い込んでいたけど、自暴自棄になってヤケクソで素をさらけだしたら、意外にも友達ができ、
自分の思い込みが外れていることに気付いた。

(この思い癖は間違ってる・・・?)という、小さな気付きから始まり、私は少しずつ、
自分が幼い頃にインプットした価値観、人生観、自分の評価を疑うようになりました。

大人は「嘘をついちゃいけない」と私に教えたけど、大人だって嘘をついてるじゃないか。
「嘘はいけない」のなら、何故「嘘も方便」という言葉があるの?

そんな小さな疑問や矛盾などを、人との出会いや人生経験で自分なりに解釈していき、
「マイナス思考すぎる自分」「すぐに自分をダメだと決めつけて嫌悪する自分」と
決別していきました。

そうなれた自分が今、思うのは、

< 多くの人は、何かしら自己嫌悪する部分を持っている >ということです。

全面的に、胸張って堂々と「私は自分が好き!」「こんな自分でも気に入っている!」と
屈託なく、楽しく自己表現している人は少ない、ということです。

このサイトに共感できたり、私のメルマガを購読して下さる読者の方は
向上心があったり、(自分を変えたい!)という意欲がある方だと思います。
そういう人こそ、内観できるので、自分の未熟さにも気付くことが多いと思います。

だけどそこで、過去の私も含め、多くの人は未熟さに嫌悪するだけで終わってしまうのです。
それが良くなかったんだと、今なら分かります。

ダメな自分であることは自覚している。
それでも、自分を嫌悪せず、追い詰めず、向上する為に必要なテーマが3つ、あります。

謙虚と、感謝と、尊重です。
謙虚とは、自分の短所を自覚し、戒めることです。

感謝とは、自分の長所が自分を助けてくれることに
(ありがたいなぁ~)と思うことです。

尊重とは、理想の自分に向かっている
「発展途上の自分」の成長ペースにイライラせず、人と比べず、
「子供を見守る母親」のような視点で成長を待ってあげることです。
謙虚も、感謝も、尊重も、
まずは< 自分にしてあげる >ことが一番、大事なのです。


他人なんて関係ありません。他人にしてあげる必要はありません。

自分の中に、謙虚と感謝と尊重がバランス良く満たされたら、勝手に溢れ、
他人にもその3つを自然と、無意識に表現できるようになってしまいます。

他人に偉そうに「謙虚になりなさい」なんて言わなくていいんです。
自分が自分に謙虚であれば、人はそれを感じて勝手に気付き、学びます。
そういう「気付く時期」が来た人から順に、謙虚になっていきます。

他人に感謝するのは、自分に感謝して、それが溢れてからでいいんです。
そうじゃないと、結局、人は周りに甘え、ずうずうしくなり、相手への感謝を忘れます。

自分を尊重できず、自己嫌悪する人は、発展途上の自分を否定しています。

「山登りの途中で転んでいる自分」にイライラする人は、
「山を登ろう!という意欲を持っているから、山登りをしている今の自分がいる」ことを
忘れています。

「登山口」で寝っ転がったままの自分がイヤだから、登り始めた。
初心者なんだから上手に登れなくて当然なのに、
道中が苦しいからって「登頂」を急ぐ、焦る、せかす。

(サクサク登れるほど知識や体力がある訳じゃないのにイライラするなよ)と、
傲慢な自分に謙虚さを促して下さい。



今の私の場合。

< 謙虚 >

私はとにかく、人の話を最後まで聞けない。

慎二と深い話をすると、聞いたキーワードで自分の見解をすぐに思いつき、
(忘れないうちに話さなきゃ!)と、彼の話を遮って自分の意見を話し始めてしまう。

見解を思いついた途端、相手の話す内容を聞かなくなる。これは本当に悪い癖。
直そうと意識はするが、その場になるとどうしても(忘れちゃう!)と焦って
(慎二の話が早く終わらないかな)と思ってしまう。ホント失礼な話だ。気をつけよう。

< 感謝 >

くよくよ悩む、「考えすぎ」と言われる、
気持ちの切り替えができないことは短所だと思っていたけど、
自分の本心を深く見つめる「内観」と、その本心が根付いた原因を追究する「分析」が
上手にできるようになったことで、短所は長所になったんだ。

内観と分析が上手にできるようになったことで、悩みを自分で解決できるようになった。
気持ちの切り替えも早くできるようになった。

嫌悪してたはずの「考えすぎる」という私の気質が、結局は私を幸せへと導いてくれたんだ。
本当にありがたいな~。長所に昇華するまで、私もよく諦めずに頑張ったな~。偉い、偉い!

< 尊重 >

私はまだまだ欠点も失敗も多いし、人格者には程遠いどころか、
気心知れた周りには喜怒哀楽を垂れ流し、平気で甘える未熟者だけど、
人生全般に対する向上心は失っていないのだから、今はそれでいい。少しずつ成長していこう。

超マイナス思考で暗く悶々としてた時代から比べれば、だいぶ成長したな~。

短所をすべて無くせばもっと人に好かれるかというと、そうではないんだし、
「未熟なまま、魅力的になる」ってことを意識した方がいいのかもしれないね。

・・・うんうん、私なりに頑張ってる。良し良し。



謙虚と感謝と尊重を自分に促すということは、

「短所を忘れず、長所に喜び、今の自分を認める」ということです。

3つの意識をバランス良く維持するには、冷静さや客観性が必要です。

自分嫌いの人は、短所を嫌悪し、長所を「ない」と思い込み、今の自分を否定する割に
具体的な打開策や成長のキッカケを見つけられない人が多いです。

何故、見つけられないかというと、自分の感情に溺れているからです。

(この短所、すっごくイヤ!嫌い!直したい!)とか、
(わ、この人、すっごく好き!ひゃあ~!もう大好き!)など、
良くも悪くも、感情に溺れているときは冷静さを失っているので、物事の本質を見抜けません。

私は「嫌悪からは何も生まれない」と思います。

「好き」の後にはどんどん、良い感情が湧きあがりますが、
「嫌い」の後には「不快だから考えたくない=思考停止」になることが多いからです。

「嫌い」に関しては「好き」以上に、
「何故、嫌いなのか」「どこがどう嫌いなのか」を分析することが大事です。

分析することで、自分の気質や相手の人間性が分かり、知識が得られるので、
嫌いという不快感も意味あるもの、「元を取った」感じになると、私は思っています。

嫌悪は、分析して掘り下げてこそ、意味があり、価値があります。
そこに「人の心の複雑さ」が見えるので、自分のことも相手のこともよく分かってきます。


以前の私は、成功した人や幸せな人を見ると、自分のダメさが目につき、落ち込んでいました。
でも今は、そういう気持ちにはなりません。

もし貴女がそういう場面に出会ったときは、相手をよく観察してください。
その人だって、何かしら苦悩や課題を持っていたりします。

ネットや書籍などで「自分の成功」や「自分の幸せ」だけを前面に出しているものを読み、
自分のダメぶりに落ち込んだときは、よく考えてください。

自分の短所を自ら披露する著者は、ほとんどいません。
そして、短所ばかり吐露している文章を読みたい読者もあまりいません。
かと言って「うまく行ったことだけ」書かれると、自分の心境によっては
読後感が虚しい場合もあります。

虚しくなったら「この人は、80%の長所を 100%、全ページに書いているんだ」と
思って下さい。

「残りの20%の短所は、本人が書きたくなかったか、
誰かに書かなくていいと言われたか、何らかの理由がある。
未熟さが書かれていないから、その人は完璧、という訳ではない」
という事実を思い出して下さい。

成功法則や、幸せになるコツを披露している人だって、日々、葛藤しながら生きています。

悩みのない人なんて、ほとんどいないでしょう。悩みがないように見える人は、
悩みが出たとき、早めに自己解決して、深刻にならずに済んでいるだけかもしれません。

私も当然、試練や課題はありますが、若干の性格の悪さ、腹黒さを否定せずに
気付きや学びを掴みながら試練を乗り越えられればそれでいいかな~と思っています。

ダメな自分を追い詰めない為には、物事を客観視できる力が必要です。

客観性を養う為にも、自分の中に、自分に対する「謙虚」と「感謝」と「尊重」を
バランス良く、根付かせることが大事だと思います。




■次は、こちら ↓

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