3. メルマガを読み続ければ、本当に自己解決力は上がるのか。
本当に自己解決力は上がるのでしょうか?
私のメルマガ、「悩みは自分で解決できる!」のキャッチコピーは、
< 読めば読むほど、自力で悩みを解決できるようになる、唯一のメルマガ > です。
本当に、月岡奈津子のメルマガを読み続ければ自己解決力が上がるのでしょうか。
何故、上がると言えるのでしょうか。
その根拠をお伝えします。
自力で悩みを解決する為のコツは「内観」と「分析」だと書きましたが、
それは2つとも、< 自分で自分の内面を探る作業 >になります。
メルマガを書いている「全くの赤の他人である私」が、
メルマガ内で内観と分析を口にする度、それを読んだ貴女に伝わる
一貫したメッセージは下記の通りとなります。
【 私は、こういう内面の探り方をしてうまく行った 】けど、
貴女の人生は貴女にしか分からないから、貴女も私と同じように、
自分で自分の内面を探ることだけはやってみてね。
【 私は、こういう内面の探り方をして失敗した 】けど、
貴女の人生は貴女にしか分からないから、貴女も私と同じように、
自分で自分の内面を探ることだけはやってみてね。
【 私は、内観と分析を鍛えたら、自力で悩みを解決できるようになった 】けど、
貴女の人生は貴女にしか分からないから、貴女も私と同じように、
自分で自分の内面を探ることだけはやってみてね。
・・・と、ひたすらこの想いを根底に、記事を書いております。
つまり、
「内観と分析だよ」=(自分で考えてね)
「内観と分析が大事だよ」=(自分で考えることが大事だよ)
「内観と分析の仕方の一例はこうだよ」=(読んでくれてありがとう。でも、自分で考えてね)
・・・を繰り返している訳です。
そうなると、読む度に(あぁ、これはこの人の個人的な意見なのね。
この人の場合は、こういう内面作業で人生が変わっていったのね)という
参考意見に過ぎないと分かってくるし、「自分で考えることの重要性」も感じてきます。
■1.(自分で考えるって、本当に大事なんだな~)と心底、痛感した人は、
(人に聞く前に、まずは自分で考えてみよう)と思うようになります。
= 私のメルマガが、そう思うキッカケを作ります。
■2.悩みについて(自分で考えてみよう)と思い、内面を探り始めた
まさにその時、自己解決力が刺激されます。
■3.最初は「自転車に乗れない子供」のように手探りで、不安定で、
もどかしく失敗ばかりの「私の解決力」だけど、
メルマガには「月岡奈津子が持っている自転車の乗り方」が書いてあります。
それを参考に「自分の自転車」を見つめ、
大きさやカタチを把握し、ヨロヨロとまた乗ってみます。
= 私のメルマガが間接的に、貴女の内観と分析をサポートします。
■4.「自分で自転車を漕ぐ」回数が増えれば増えるほど、自己解決力は上がります。
つまり「自転車に乗るコツが分かる=悩みを自分で解決できるコツが分かる」です。
= 私のメルマガを読めば読むほど、自力で悩みを解決できるようになります。
上がります。上がるように願って、記事を書いております。
>何故、上がると言えるのでしょうか。
私のメルマガを読むことで、
読者が(自分で考えるって大事なんだ)と思うキッカケとなるから、です。
さらに私のメルマガが、自分で解決する為の
「間接的なサポート」の役目も果たす為、 読者は読めば読むほど
自己解決のコツを掴めるようになり、 日常生活で実践すればするほど
自力で悩みを解決できるようになるから、です。
日常のシーンを想像してください。
子供に「自転車に乗りたい」と言われたら、貴女はどうしますか?
まずは貴女が乗って見せるとしても、それをいつまで続けますか?
貴女が何時間、乗って見せても、子供自身は乗れないままです。
現実は何も変わりません。
「ほら、お手本を見せたのだから、今度は自分で乗ってみなさい」
「・・・いや、まだ不安だから、自分に自信がないから、お母さんがまた乗ってみせて」
「いや、もう、あなたが乗りなさいよ。これ、あなたの自転車だよ?」
「・・・だって、お母さんの方が上手だもん。
私はまだ失敗したくない。転びたくない。怪我したくない。
行きたい場所だってまだ決められないし、分からない。お母さん、教えて」
「もう、しょうがないわねぇ~。
じゃあ、またお母さんが乗るね。行き先は渋谷にします」
・・・とは、ならないでしょう?
「じゃあ、お母さんが一生、あなたの隣で一緒に走ってあげる」
・・・こともできないでしょう?
自分も自転車に乗れる健康体なのに、
子供に「自転車の乗り方」を口頭で伝える人はあまりいないと思います。
自分で乗って見せた後は必ず、本人に乗ってもらいます。
自転車というものは、そもそも、< 自分で乗るもの >だからですよね。
各自の、恋や仕事や人生も、自転車と同じです。
「うまく乗るコツ=楽しく生きるコツ」を口頭で(文章で)説明するのは、とても難しい。
自転車はある程度、形や大きさが決まっているけど、
各自の人生は、各自で全く異なる形をしているから、さらに「コツの説明」が難しい。
でも、自転車も人生も共通していることは、
いつかは、自己責任で乗らないといけない。
自分で乗ってみないと分からないこと、つかめない感覚がある。
乗りこなせる人ほど、楽しみや自由、喜びが広がる。
・・・ということです。
人生のいろんな場面で、悩んで迷って傷付いた時、
貴女はいつまで「お母さん」を必要とするのでしょう?
誰かの言動を鵜呑みにして「乗り方」を真似たり、
依存したり、崇拝したり、判断を仰いだり・・・。
誰かの価値観を「完全コピー」したところで、
貴女は本当に、「貴女の自転車」を乗りこなせるのでしょうか?
たとえ尊敬する人の言動であっても、内面世界が一人一人違う以上、
その人さえも「貴女の中に眠る本当の真実は分からない」のです。
分からない上で、その人の人生観、経験値の中で、
< 主観 > = その人ひとりのものの見方で、
貴女にアドバイスしたり、意見を述べたりしている訳です。
どんなに偉い人でも、凄い人でも、好きな人でも、
当然、私も、言動の根底は< 主観 >です。
もっと詳しく言えば、人格者の場合は、
< 客観的事実や、客観的視点に立った上での主観 >を述べています。
極論ですが、その人の意見が
【 貴女にとって絶対に正しいなんて、絶対に言えない 】訳です。
何故なら、貴女とその人は< 同一人物ではない >からです。
同一人物ではない以上、物事に対する感じ方や解釈の仕方、
解決の方法も違って当然ですよね。
たとえ、お互いに客観的事実を共有していたとしても、
人は、各自の< 個性・感性・経験 >というフィルターを通して意見を述べるので、
どうしても、解釈は人の数だけ存在する。その為、「共感」もあれば「反発」もある訳です。
そういう< 歴然とした事実 >を自覚した上で、周りや自分と付き合って欲しい。
つまり、< 他人の意見を、何も考えず鵜呑みにする癖を直して欲しい >のです。
親、兄弟、恋人、子供、先生、気心の知れた友達、通りすがりの人・・・すべて、他人です。
他人の言動を瞬時に信じて鵜呑みにするから、良くも悪くも、感情的になるのです。
瞬時に信じて(嬉しい!)と思えば、自分に自信が持てたり、その人を好きになったりしますが
瞬時に信じて(ショック!この人嫌い!)と思えば、自己嫌悪と相手への怒りが湧いてきます。
・・・それって、楽しいですか?
そんな生き方でいいのですか?
そんな自分を気に入っているのですか?
貴女は、その癖を自覚して、納得して、「あえて」維持しているのですか?
疲れませんか? やめたいと思いませんか? 変わりたいと思いませんか?
私は、楽しくなかったです。
生きるのが本当に辛かったです。自分が大嫌いでした。
人と接している時は、無意識に「イイ人」を演じ、
反射的に「期待されているキャラ」を演じ、気を遣っている為、
その日の飲み会はそこそこ盛り上がって解散・・・となっても、帰宅後の玄関で
気疲れからガックリと座り込み、何故か涙が止まらない・・・なんて夜もありました。
みんなは楽しんでくれたようだ・・・それは良かった、一安心。
でも私は何故か疲れた・・・心底、疲れ切った・・・。
あの場は私も、テンション上げて楽しんでたつもりなのに、
どうして、こういう生き方しかできないんだろう・・・。
私って・・・人との付き合いは、こういうやり方でしかできないのかな・・・。
人と会った瞬間、何か「スイッチ」が入るんだよな・・・。
疲れるスイッチ。
でも、みんなには害がなく、そこそこ楽しんでもらえるスイッチ。
・・・なんだ、これ・・・。
スイッチの原因が「他人の主観を瞬時に鵜呑みにして一喜一憂する自分にある」と
気付いたのは、もっと後になってからでした。
当時の私は、
■1.他人の主観(奈津子ちゃん、場を盛り上げて)を瞬時に読み取る能力がある。
■2.読み取った瞬間、
(1)相手が喜んでくれるなら、自己犠牲もいとわないという< 自尊心の低さ >から、
自分の欲望(ゆっくり静かに飲みたい)という主観は一瞬で下がってしまう。
(2)「自尊心が低い」という事実に自分で気付いていない為、
(盛り上げたい気分じゃないけど)私を盛り上げ役に選んでくれたんだ、という事実が
私の低い自尊心を刺激し、嬉しくなる。
つまり、
(1)自尊心が低いから、自分の本音を抑え込む
(2)自尊心が低いから、不本意でも「選んでくれた事実」に舞い上がる
この2つが同時に内面で起こる。
↓
■3.内面で起こった瞬間、
(こんな自分でも)選んでもらえたのだから、頑張るしかない!(それ以外に選択肢はない)
みんなに楽しんでもらいたい!(これが今日の私の使命)と解釈し、
ここで「スイッチ」が入る。
※ここまでの内面の変化は一瞬で、時間にすると(たぶん)数秒の世界。
だから自分でも全く気付かない。
↓
■4.気がつけば、私は頑張って酒を飲んでいる。
そして、酔う、歌う、踊る。(ここらへんは素直に楽しい)
周りは笑う、喜ぶ。私に「楽しかった」「面白い」「酒好きだね」と言う。
↓
■5.帰宅後、ハッと我に返る。
↓
■6.つ、疲れた・・・何故・・・?(涙)
他人の主観を瞬時に読み取れるのは、私の個性、能力ですが、
読み取った後の流れが悪くなるのは、自尊心の低さが原因でした。
自尊心が健全になった今は、読み取った瞬間の反応が自然と変わりました。
頑張ってテンションを上げなくても大丈夫だ。
無理しなくても、期待に応えなくても、相手に嫌われることはない。
仮に相手に嫌われても、それはそれでいいや。
無理してまで好かれたいとは思わないし・・・などなど
自分の本音で動くことへの罪悪感から解放されました。
こんな些細な、気心知れた身内の楽しい飲み会ですら、
私は上記のような内面世界で人と接していた訳ですから、
日常的に、私は勝手に独り、アタフタと溺れていたのです。
幼い頃、イジメに遭い、人から存在を求められることがなかった自尊心の低い私にとって、
飲み会で「奈津子ちゃん、盛り上げてよ」と言われたことは、もう、一大事だった訳です。
会社で「社運を賭けたこのプロジェクト、君に任せるよ」と言われるのと同じです。
バカみたいだけど、本当にそう感じていたのです。
失敗はできない。失望されたくない。嫌われたくない。好かれたい。
そんな私の主観(本音)を満たす為に、私が取る方法はいつも1つ。
自己犠牲です。
でも、自己犠牲を選ぶと、セットで「自尊心を傷付ける」がついてきます。
「人に嫌われたくない」から、「自己犠牲を払う」と、
「自尊心が傷付けられ、自分が嫌いになる」
・・・絶望しました。
終わりがない。
いつになったら、自分を好きになれるんだろう・・・と。
この負のスパイラルから抜け出せたのは、内観と分析のお陰でした。
内観と分析が上手にできるようになればなるほど、生きるすべてが変わっていきました。
貴女がもし、未経験なら、
私は貴女にも、
健全な自信と幸せが、温泉のように自分の奥底から
ほんわか湧き出る恍惚感を、是非、感じて欲しいです。
自分で自分の悩みが解決できるって、本当に楽です。
こんなに楽なことはないです。ますます自分を好きになれます。
自己解決力に磨きがかかり、客観性が身に付いてくると、
(自己解決できるってことは、本当にメリットしかないんだな~。
デメリットなんて、1つもないんだな~)と痛感します。
私のメルマガ、「悩みは自分で解決できる!」のキャッチコピーである
< 読めば読むほど、自力で悩みを解決できるようになる、唯一のメルマガ >
それは、
私自身が目指したい、その決意表明でもあります。
過去の私と同じような世界で生き、悩み、苦しんでいる方、
私の人生観や考え方に共感してくださる方に対しては、
私の経験(メルマガ)が少しはお役に立てるのではないかと自負しています。
■次は、こちら ↓